N B N 通 信 46 号

名古屋点訳ネットワーク
2024年2月発行





―・― 目 次 ―・―

1.  3月23日 藤野稔寛先生講演会
「エーデルの最近の発展について」のご案内

2. 「第26回 名古屋点訳ネットワーク総会」のご報告

3. 石川亜紗美さん講演会のご報告






1. 3月23日 藤野 稔寛先生 講演会
「エーデルの最近の発展について」のご案内

         

 図形点訳ソフト「エーデル」の誕生から30年以上。最近の発展について開発者の藤野先生にお話しいただきます。また実際にエーデルで作成したものについて一緒に見比べたり触ったりしたいと思います。
日 時 3月23日(土)13:30〜16:30
場 所 名古屋市総合社会福祉会館6階 多目的活動室
内 容 藤野先生の講演と交流会
申し込み  会場準備のため、参加人数を把握したく、氏名・所属・連絡先のご連絡をお願いします
 
また、エーデルに関するご質問を頂ければ藤野先生にお伝えして講演内容に盛り込んでいただきます。

NBNメールアドレス :daihyo●n-braille.net(●を@に変更していただけますようお願いします)



★ 藤野稔寛先生ご紹介

1952年徳島県阿南市生まれ。名古屋大学理学部物理学科卒業。

盲学校教諭時代の1991年に、図形を点訳するパソコンソフト「エーデル」を独自に開発してフリーソフトとして無償で提供すると共に、現在も改良を続けておられます。

エーデルにより、パソコン操作で作成した点図を点字プリンタで大量に印刷することが可能になったため、全国の盲学校・点訳ボランティアグループに普及した他、韓国でも使用されています。

★主な受賞

・2009年 ヘレンケラー・サリバン賞
・2014年度バリアフリー・ユニバーサルデザイン推進功労者表彰 内閣府特命担当大臣表彰優良賞
・2017年 日本点字図書館 第14回本間一夫文化賞

     

2.「第26回 名古屋点訳ネットワーク総会」のご報告

 

2023年6月11日(日)、名古屋市総合社会福祉会館・多目的活動室(6階)とオンライン(ZOOM)にて「第26回 名古屋点訳ネットワーク総会」を開きました。
内容は以下の通りです。

(1) NBNの創立の経緯
(2) 名古屋市社会福祉協議会 野川さん挨拶
(3) ボランティアセンター 内藤さん挨拶
(4) 参加者挨拶

(5) 2022年度活動報告
コロナの影響でこの3年間活動は総会のみでした。
2022年6月19日(日)「AIで変えていく点訳の未来」と題して高専出身のTAKAO-AIの皆さんの説明会・意見交換会を行いました。 参加の皆さんとTAKAOさんとでメーリングリストを作りましたが、最近はメーリングリストに返答がないので、他のことで活動していると思われます。

(6)NBN点訳データベース登録状況
サーバーを移設しました。セキュリティの問題と金額の問題でしたが、いろいろな問題がでてきていますが、中島さんが対応してくれています。
書籍・新聞の一部の記事・将棋の棋譜・カラオケ歌詞などの検索ができるようになりました。カラオケ歌詞は歌手検索もできます。
2023年6月現在のタイトル数は、書籍1933、記事3616、歌詞3580です。
NBNのデータベースについて以下のような意見がありました。

・自分が登録したデータが登録できたという報告、またダウンロードされたという報告がくるのがいい。(参考までに、データが登録されるとお知らせメールを受け取ることも可能です)
・データは点字ピンディスプレイ・点字印刷して読みます。こちらで依頼があれば点字印刷ができるといいと思う。
・サピエでNBNのデータベースは検索できない。セキュリティがあるのでそれぞれ独立したものになっている。
・サピエは書籍中心で偏りがある。ビジネス書・児童書・カラオケの歌詞は少ない。新聞記事はない。

(7)2022年度会計報告
会計・会計監査の報告により承認されました。

(8)2023年度役員(改選はありません)
代表 中西和子(大樹会)
副代表 細川陽一(名古屋盲学校)
花井敦子(はづき会)
会計 中井慶子(点訳サークルてんてん)
会計監査 大倉裕子(みなづき会)
広報 浅田浩子(点訳サークルてんてん)
大倉裕子(みなづき会)
竹本邦江(はづき会)
サポーター 牧原英治(半田市)
石川亜紗美(半田市)
HP管理 中島正二(瀬戸市)
平瀬徹(大樹会)

(9)2023年度活動計画案
下記のような意見・提案がありました。
・京都ライトハウスの点字訓練。
・福島県盲学校の先生による児童生徒が必要とする点字についての講演。
・新潟大学の渡辺先生の3Dによる模型作成について。
・視覚障がい者の現状を知ってもらうための食事会。
・視覚障がいの見え方の違いについて。写真・景色などを知る方法、立体コピーなど、見えないものを触ってわかりたい。
・HPに視覚障がい者の困り事・要望のページを作るのはどうか。
・HPにどんなイベントがいいかを書き込めるような掲示板をつくる。
・テキストデータに関しての意見交換。情報弱者を作らないための活動。
・視覚障がい者と食事会を企画すると喜んでもらえた。例えばボウリング・いちご狩り・大須演芸場で説明などお出かけを楽しみにされていた。
・用具展の内容を個別で聞きたい人がいるのではないか。

(10)2023年度予算
承認されました。

  総会後、石川亜紗美さんの講演会と意見交換会がありました。


3.石川亜紗美さん講演会のご報告

 

40歳になる石川さんが当時の時代背景と共に赤裸々に半生を話してくださいました。

4歳のころ、目が炎症をおこし眼科へ。原因不明で毎月大学病院へ検査に行く日々。
結局ブドウ膜炎からくる緑内障・白内障と診断されました。視力検査では「わっか」を見て、見えていないのに適当に答えていたそうで、幼稚園では特に困ることはありませんでした。

小学校は80人くらいの小さい学校でした。黒板の字は見えないし、1年生の時は字に目を近づけて教科書を読んでいました。見えないのが当たり前で、特別だと思っていませんでした。
3,4年生のころ、教科書を順番に読んでいった時、つかえて読めないことに自分の頭がおかしくなったかと思いましたが実際には視野が狭くなっていて読めなくなっていたのでした。体育でバドミントンでも打ち返すことはできません。家で練習しても打てません。 羽根が見えるのに打てないと思い込んで、見えないからできないのだと理解できませんでした。

学年が上がって、母親に拡大コピーや漢字を太い字で書いてもらうなど家でやることが増えました。見えないから落ちこぼれるというのがいやで学校でできなかったことを家でしていました。 しかし授業では何も言わなかったので先生もその状況がわかりませんでした。クラスメートは幼稚園から一緒だったのでみんな理解してくれて、それが当たり前だと思われていました。友達とも普通に遊んでいました。

中学校に入ると、他の小学校の人と同じになり、違和感を持たれました。 たたかれたり、オペラグラスをとりあげられたりして、自分が他の人たちと違うという事がわかってきました。 先輩に会っても気づかないためあいさつもできず、人間関係が難しくなり、所謂おいてきぼりになってしまいました。 それでも小学校から知っている子もいたのでなんとかなりました。

勉強も難しくなり拡大コピーをしながら進めました。親も心配しましたがどうしたらよいかわからず学校側が愛知県保健センターに相談しました。 そこから視能訓練士の川瀬先生とつながり、残っている見え方でどう見ればいいかや、ルーペのことや生活の情報提供をしてもらいました。川瀬先生が、傾斜台・ルーペなどいろいろな日常用具を教えてくれて。 この出会いで明るい気持ちになることができました。 ただ困ったことがないか聞いてくれるのですが、何が困っているか自分でもわからず何も聞けませんでした。

高校はどうするか決めなければいけない時期に来ていました。
11月に網膜剥離になり1か月入院し一般校か盲学校かで迷いました。母親が盲学校へ相談に行き、結局社会にでたら一般社会で生きていくと言う理由で一般校を選びました。

日本福祉大学付属高校での勉強・人間関係が一番大変でした。
1年生の間は、自分でも見え方・状態がわかっておらず、まわりに自分のことを伝えて助けてもらうことができませんでした。 自分は視覚障がい者だと思っていませんでした。自分以外の視覚障がい者と出会ったことがなかったからです。ドクターから何も聞かされておらず自分の状態がわかりませんでした。親も医者に聞くしかなかったのです。 視能訓練士から紹介された先生が、高校2年になる前に、高校の先生にサポートの内容を説明してくれて学校側とその先生と自分とで相談をし、学校側がどんな援助が必要かを理解してくれました。 学級通信に自分のことを「見えにくいからよろしくね」ということを書いてからクラスメートもわかってくれるようになりました。 それまで、私は友達に頼むことに遠慮がありましたが、必要なことは協力してもらえばいい、勇気を出して頑張ろうという気持ちになりました。

高校2年にパソコンを習いに行きました。
テストも口頭で実施してもらいました。
その頃、自分より見えない人が前向きに生きていることを知り、そこで自分が障がい者手帳を持っていないことにようやく気が付きました。母親が眼科医師に手帳をとらない方がいいと言われたので、これまで取ることを考えなかったのですが17歳でようやく自分からほしいと訴えました。

高校3年の時、視覚障がい者のツアーでカナダで10日間過ごしました。こんな楽しい世界がある、生きていてよかったと思いました。同世代の視覚障がい者と知り合い、杖をついて堂々と歩き、遠慮しないで声掛けをして周りの人々に手伝ってもらうことに驚きました。 見えないからできないと遠慮しなくてもいいんだと思いました。 自分も大学で勉強したいと思ったきっかけになりました。求めて行かないと届かないことを思い福祉の勉強をしようと思いました。

大学では一切親に頼らなくなったことが一番大きいことです。 ボランティア・友達などに自分で協力をお願いしました。自分から声をだして求めて行かないと困ることが分かりました。

卒業後NPOで仕事をすることになりました。そのNPOは障害を持っている学生が障害を持っている学生のためにできたNPOでリーダーは電動車いすの人。障がい者が暮らしやすいようにするためには障がい者が活動しないといけないと認識しました。地域には困っている障がい者がたくさんいることを知りました。
就学免除の時代なので、30年ぶりに外出した人、家族だけでやっている人、など情報がない孤立した人たちがたくさんいました。 結局、車の運転ができない、書類が読めないなど一般の社会で働く厳しさもわかりました。

そして、やりきったという思いから退職し、地元で両親の経営する有料老人ホームで仕事を始め、3年前からは先祖の土地をブルーベリー農園にしたので、そこでも働いています。

何も情報がなかったので地元の視覚障がい者との繋がりはありませんでしたが、半田市の会議で牧原さんと出会い、福祉についてや日常生活用具の制度など知らないことを教えてもらいました。 また、牧原さんの声かけから、結成直後の視覚障がい者中心の農園バンド グリーンエンジェルズに参加することになりました。
今 会長の牧原さんと共に活動している半田ブラインド協会は、個人でやるだけではなくみんなで福祉を変えて行こう、情報を知らない人に伝えて行こうという思いで作られました。

自分が何も知らなかったときにこんな会があったら良かったと思います。「見える人、見えない・見えにくい人が集い、共に暮らしやすい社会をつくるために」をコンセプトに、活動しています。

      

  

◆ 編集後記 ◆

  石川亜紗美さんの講演の後、参加された視覚障がい者のみなさんにお話を聞きました。障害者手帳や白杖を持つことへの葛藤、いろいろな方との出会いや経験によって勇気づけられたり考え方が変わったりしたことなどを知りました。障害を持つ方が不便を感じないような社会をつくり、障害の有無を感じる必要のない人間関係を築いていきたいと思いました。
浅田浩子



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